ダヤクのイバン族にとってテンカワンの木は先祖伝来受け継がれてきたその地域の歴史を示すものである。イバン族には「テンバワン(伝統的に受け継がれてきた多様な有用樹からなる森)の中には必ずテンカワンがある」という言葉がある。ダヤク人はテンカワンの実を集めて揚げ物や灯り、薬などの用途に用いてきた。テンカワンの搾油は居住地から離れたところで隠れて行われていた。油を搾っている時に他の人が入ってきて雑談すると期待通りのものができず、失敗すると信じられていた。
テンカワンの結実は毎年やってくるものではない。しかし興味深いことに地域の人々の経験ではテンカワンは最初に花をつけ始める樹木だということだ。テンカワンが花をつけるとその地域の果物はかならず実をつけるというのである。
テンカワンの収穫の時期は一般にマンゴやランバイ、ランサット、ドリアン、チェンぺダック、クランジ、ムジャウ、ランブータンなどの他の果物よりも後である。また、テンカワンと同時に収穫されるものはクランジ、ランサット、ニェカックなどだ。
花が咲き始める印は3,4月頃に葉っぱが萎れ始め、その後5,6月頃に新芽が出てくる。そしてその時期の状態を表す特別な言葉がそれぞれの地域ごとにある。
少なくとも3つテンカワンについての古くから知られていることがある。一つ目はそれぞれの地域でいつテンカワンの実が収穫できるかの前兆が伝統的な知恵として蓄えられていることで、それは地域によってそれぞれである。二つ目はこの収穫に備えての彼らの準備だ。例えばテンカワンの周りの藪を切り払って収穫しやすくしたり、いつ頃、どの木からどうやって、誰が(単独でやるのか、グループを作ってやるのか)収穫作業をするかの計画を立てることなどだ。三番目は前述したそれぞれの段階の前兆をよく観察して今年はどれくらい実をつけるのか予想することである。
また、テンカワンの文化的な側面としては、テンカワンを表す特別な言葉がダヤクの中のイバン族とエンバロー族の間で共通のものが見られ、それが民族間のコミュニケーションを円滑にする効果があるということだ。テンカワンの実をバッタになぞらえて表現する例で言うとbuntak tembeは羽が大きくて頭が小さいバッタで、buntak rusaは羽が長細いバッタのことで、他にもいくつかあるが、どの民族も同じようにテンカワンの実をそのバッタの名前で表現するのである。
テンカワンはダヤク人の文化で重要な役割を演じている。テンカワンの花が咲く時期になるとたくさんの人が風邪やデング熱に罹る。かつて病気が蔓延する季節のことをrenggap engkabang=テンカワン風邪の時期と言った。この時期に病気に罹るのを避けるため人々はテンカワンの花を摘み、炊けたばかりのご飯の上にそれを載せたものである。これは人々がテンカワンと仲良くしていることを表すものであり、テンカワンがその人々に対して怒らないことを願うものである。もし病気が大変重かった場合はテンカワンの花を使ったサウナ(ダヤクの言葉でbetanggas)で癒した。もちろんテンカワンの花が咲く時期に他の木も花を咲かせているのだが、他の木が風邪やデング熱の流行の理由になることはなかった。
テンカワンの花が咲き始めると、ダヤク人はngampunと呼ばれる儀式をする。これは自然現象を支配する神に赦しを乞い、テンカワンの花が咲いてから実をつけるまでみんなが病気にかからないようにするためのものである。その集落の全ての家族はこの儀式に参加する。家の扉は閉じられ、お供えのごちそうが並べられ、鶏が生贄として捧げられる。
儀式を司る長老は鶏を堵殺する前、それを全員の頭の上に回し、先祖の魂に無病息災を願いつつ、呪文を唱えて祈る。鶏を堵殺するとすぐにその鶏の血は先祖の魂が悪霊や病気から身を守ってくれる印として全ての人の額に塗り付けられる。この儀式の間中、全ての人は完全に沈黙し、立っていなければならない。また、この集落はそれから3日間、集落外からの来訪者を受け入れてはならず、さらにこの儀式に参加した者は仕事の用事や森で食べ物を見つけるためなどの理由で集落の外に出てはならない決まりである。
ダヤク人の長老によればテンカワンの収穫は、いつから始めるか、誰を含めるか含めないか、収穫物を分け合う子どもや女性を含めて作業をどう分配するかなど、その調整は慣習的に決められたが、オープンで公平なものだったと言う。しかし今の世代はその慣習を知らず、伝統的な知恵が生かされることが少なくなった。テンカワンに関する地域横断的な組織も出てきておらず、地域にももちろんないのだが、もしテンカワンの経済的価値が高まった場合は実の奪い合いや衝突を避けるためによく考えておかなければならないだろう。(2017年12月Yayasan Riak Bumi代表Valentinus Heri記載)